セスラ校について

沿革

1986年

リス&マリクレール ロース(Lys & Marie Claire Lorthe) 夫妻により ポルトープランス、デルマ地区に設立される。

1994年

4月、夫リス、自動車事故のため死亡、学校は次第に経営難に陥っていく。

1999年

マリクレールは泣く泣く学校を閉鎖、生徒を一人一人近くの学校に頼んだ。
借金をかかえてマリクレールはデルマスを引き払い ボンレポスに転居、しかしここでも貧しいために学校に行かれない子どもたちに出会う。

2001年

1月、ボンレポスセスラ校開校 265名の生徒が入学。

2003年

3月、マリクレールの妹、山田カリンの案内で、高岡美智子、吉行伸がCeslaを訪問、同年6月支援団体「ハイチの会・セスラ」が設立され、継続的な支援が始まる。

2010年

大震災のあと、アルチボニット県の農村モーリャンクにCeslaの分校を開校。

2012年

ボンレポス校に約200人、モーリャンク校に100人の子どもたちが学んでいる。

2015年

7月、モーリャンクのセスラ校PTA発足。

8月、モーリャンクにCesla 校を運営するためのNGO団体Cesla Community Projectが誕生。

ボンレポス校

ハイチの首都、ポルトープランスの北東20㎞、ボンレポスに、2002年1月マリクレール・ロースにより、デルマスで一旦閉校したのセスラ校再開として出発した。
約1200㎡の土地に約200㎡の建物があり、すべてを学校として使っているが2010年の大地震で建物が半壊、ごく一部だけしか使えなくなった。

☆学校の様子:2012年9月現在
幼稚部2クラス 小学部5クラス(5,6年生合同)
教師 スタッフ マリクレール以下12名 給食調理3人

生徒たちは実に生き生きして、学校が大好きでなかなか下校しない。
卒業時の全国テストでも、セスラの生徒は名門校なみの成績である。
(ハイチでは小学校卒業時に全国一斉テストがあり、合格しなければ中学校へ上がれない)

モーリャンク校

首都ポルトープランスから北へ約50㎞、アルチボニット県の県都サンマルク
郊外の農村モーリャンクに、2010年開校したセスラの分校。最初幼稚園児50名でスタートした。

☆2012年現在
幼稚部3クラス、小学部2クラス150人の子どもたちが学ぶ。
教師6人、アシスタント2人

 現在はマリクレールさんが従姉妹と共有する小さな土地に、仮設教室仕様の教室を建てているが、すぐ近くに学校用地1、3haの土地を取得。今後ここに学校建設、学校農園、植樹などを計画している。

 >> モーリャンク 設立の物語

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