ハイチ地震 その後

2010年1 月12日午後4時53分(日本時間13日午前6 時53分)
震源地:首都ポルトープランスの西南西25Km
マグニチュード7.0
死者:約23万人 負傷者多数  被災者:約300万人

地震直後

  • 国連、国際機関、各国からの救援が続々入る。報道ラッシュ
  • ハイチ政府、駐留していた国連軍の被災、空港、港湾施設の被災のため混乱
  • 生存者救助、医療、食糧などの急務
  • 大規模な食糧、水、テントの支給が始まる
  • 重機の不足で瓦礫の除去が進まず、救助が遅れる
  • 略奪など混乱はあったもののルールが決まっていった模様

その後

  • 空き地にテント村が出現 雨季にそなえる
  • 学校の再開~テントの中でも
  • 秋、コレラの発生と流行拡大
  • 大統領選挙 11月29日過半数取れず、3月7日決選投票 与党敗退
  • もと独裁者帰国 クロード・デュバリエ

一年後

  • テント生活者約13万人。多くは仕事がなく食糧、水の支援で暮らす
  • 大統領府をはじめとして、倒壊した建物の復旧手付かず。
  • 支援団体、NGOが大量に入っているが・・・その結果高級ホテルは満員、ネット環境は都会でよくなった、携帯電話の普及
  • 潜在的不満 ガス抜きのような暴動の可能性
  • 倒壊した建物と瓦礫のわきに露天商が並び始めている。
  • テント暮らしの定着化?

復興が進まない理由

  • 政府が弱体で、国際的信用がないため支援のお金が政府に行っていない
  • 国民のトラウマ もともと貧しいハイチに復興のビジョンを描けない → 屋根のある建物が怖い → コンクリートの集合住宅はいやだ~
  • 支援のありかた モノ垂れ流しの支援ではなく、支援=協同&教育 
    雇用を生み出すこと。

ハイチの会・セスラの対応

地震前の活動

  • 学校支援  プロジェクト「一万人で学校を作ろう」
  • ハイチの紹介活動、チャリテーイベント・コンサート「ミジカド」

地震直後

  • マスコミ取材への対応
  • 義援金集め
  • ハイチとの連絡~佐藤文則氏をセスラに送る  情報収集  写真
  • 佐藤さんの報告とセスラからの要望書
  •   

  • ①カウンセラーがほしい ②緊急生活保護  ③学校再開の費用
       まず、②と③に応えて送金

学校再開とセスラ分校の設置

 
 
※仮設教室建設の様子。

  • 4月5日、町中で どこよりも早い学校再開
  • マリクレール校長の田舎、モ-リアンクの農村に分校が出来たきっかけはミジュランドちゃん(5歳)が歌った即興の歌「私もかならず学校に行く」という歌でした。   

国境なきアーティストをハイチに送ろう

  • マリクレール先生の要望①に、外国人に私たちがどう応えるか模索
  • エクトル・シエラの活動・・・紛争地、テロの渦中の子どもたちが絵を描く
  • お金&モノではない支援を~励ましを届けたい、子どもたちが自分の体験を見つめる機会を~同じたのしさをわかちあって3月7日から3週間 セスラ校、マルパスの孤児院ほか
  • エクトル・シエラ  増山理人  小幡三佐子  高岡美智子

モーリャンクに学校用地を取得

  • アルチボニット県、サンマルク郊外の農村、モーリャンクで、1.29ヘクタールの土地を購入しました。セスラモーリャンク校を建てることができます。
  • 土地代、諸費用込みで44000、送金手数料までいれて、3,732,000円かかりました。これは、「一万人で学校を作ろう」に寄せられた寄付と震災義援金から支出しました。みなさまのおかげです!ありがとうございました。
  • この土地の周りはお米つくりが盛んなところです。学校農園ができないか、マリクレール校長とはなしあってきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です