モーリャンク 設立の物語

【マリクレールさんからのメール 抄訳】訳:井上真理子

セスラはその歴史の中で一番美しい話を涙とともに書き留めたところです。5才の女の子ミジュランド・ドーヴァルの即興の歌声がこの涙を生みました。彼女の歌はハイチの教育の不公平にひどく傷つけられた幼い彼女の一番奥深い所から絞り出されたものです。
2010年1月12日の地震の後、私はアルティボニット県、モーリアンク村に自分の身内と共に何日か避難しなければならなりませんでした。そこで私は近所の子どもたちみんなに会いました。彼らはこの滞在中、私を何度も訪ねて来ました。自分の学校活動の再開を待ちつつ、私はこの機を利用してこの子どもたちに個人授業を行いました。ちょうど持っていた教材を使い、子どもたちに歌や踊りを教え、物語を語って聞かせました。
 子どもたちは、「ここは僕たちのは学校だね」と言って毎日のように遠慮なくやって来ました。私も彼らとともに時間を忘れて過ごし、それは地震がもたらした残酷で耐え難い悲劇に対応するための貴重な癒しになったのでした。
 その後私がモーリャンクに行くたび、子どもたちは私の所に来て私と一緒に居たがりました。夏休みのことでした。モーリャンクに行くとすぐ、子どもたちは私を囲み、「学校がここにある」と言いました。 8月20日金曜の午後早く、おやつを配った後、私は子どもたちと共に祈り、彼らにちょっとした歌を歌うように言いました。既に学校に通っている子たちは、学校で習った歌を次から次へと歌い始めました。そして彼らは「他の子どもたちは学校に行っていないから歌えない」と言いました。私は「たとえ学校に行っていなくても、子どもだれでも歌えます」と彼らに答えました。学校に行っていないグループの幼い女の子が訴えるような目で立ち上がり、悲しげに即興で歌い始めました。

ママはは私を学校に行かせない。   
でもわたし、ぜったいに行く (繰り返し)   

 彼女は何度も繰り返し歌い続けました。ハイチの非常に高い割合の子どもたちが今置かれている厳しい現実を表したこの歌を聞き、私は涙が止まりませんでした。私は彼女の手を取って、どのようにしてこの歌を彼女が知ったのか、誰が彼女にこの歌を教えたのかを聞きました。「誰にも教わらない、私がつくったの」と彼女は答えました。
 この歌がひきおこした大きな衝撃に心を揺さぶられ、私は深く神に祈りました。私は天と地の神にモーロー・リアンクールにセスラの分校を設立することが出来ますようにと。小さなミジュランドは私に、学校に行けない子どもたちのために学校を作ることが必要だと分からせてくれました。
 次の日の午後、子どもたちは私のところに集まりました。このグループの男の子の一人である7才のアルビィが太い大声をあげて叫びました。「子どもには学校が必要だ!」
 5年以上前から私たちを支援して下さっている日本の友人達は、今回の地震では、リラヴォアの私たちの学校のために仮設教室を寄付して下さり、その時の鋼板がまだ残っていました。つまり、屋根のための資材の一部は既にあるということです。私は自分の給与の8月と9月分で木材や釘を購入しました。私は二人の親方(家具職人と大工)に校舎を一棟建ててもらいました。
 私たちは学校に通うための登録をしたことの無い30人の子どもたちの学校登録に取りかかり、この登録は終了しました。そして、このクラスのために保母を一人、月曜だけくるパートタイムの監督者を一人採用しました。他に多くの保母が職を求めて私たちの所に履歴書を置きに来ました。
10月4日に、神がお許し下されば、セスラの分校を私の亡くなった母の御心にあるこの小さい土地に開校します。そして、必ず拡張される校舎建設の用に、もっと広い土地を購入するための資金が得られるのを待ちます。授業料は、要望が多かったので金額を下げて親の負担を楽にしています。登録料は25グルド(ハイチの通貨単位)、1学期の授業料125グルド、入学金無しです。資金の支援があってもう一人の先生を雇用する事ができれば、1時から5時までの第二勤務時間を待っている子どもたちの中から30人を選ぶ事ができるはずです。この子どもたちは学校に行った事の無い、AFの第一学年のクラスから始める子どもたちです。
モーリアンクの子どもたちの多くは文盲の荒れ地を生きています。子どもを学校に行かせることのできない多くの親たちが私たちの所に来て子どもを登録させたがっています。30人の募集枠をもっとふやせたら!と切に思います。
土地を購入し、校舎や校庭やトイレなどを建設し、学校調度品や教材を購入し、子どもたちの保母や教師への月給の支払いするための援助を皆さまにお願いする次第です。
この地球の未来は私たちの子どもたちに在り、それゆえに私たちはこの子どもたちのために戦わなければならないのです。

マリー・クレール・ジャン・トルテ
リラヴォアのセスラ及びモーリアンクの分校創始者